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私の責任と自由  「男と女のいる舗道」

2010.03.04.Thu.23:49
Femmes@Tokyo [フランス映画特別上映] 女たちの記憶
「男と女のいる舗道」

原題: Vivre sa vie (自分の人生を生きる)
製作年: 1962 年
製作国: フランス
監督: ジャン=リュック・ゴダール
出演: アンナ・カリーナ

vivresavie

[あらすじ] (参照: Femmes@Tokyo パンフレット)
ナナ (アンナ・カリーナ) は若くして結婚、離婚を経験し、安月給のレコード店員をしながら女優を夢見ている。しかし生活に窮し、街で男に誘われ、体の代償に金を受け取る。ナナは友人の紹介により娼婦となり、ラウールというヒモがつくようになる。

■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■


モノクロ映画を見ていると、とても脳が疲れるような気がします。なぜかしら...。どうやら、ワタシは知らず知らずのうちに脳内カラー変換というのをやっているようで、モノクロのスクリーン見ながら、頭の中で彩色作業をしているのです。

冒頭シーンで、ナナの後ろ姿ばかりをカメラがとらえているのですが、ナナの背中を見ながら、ナナが着ているコートは一体どんな色なのかしら、シャンパンベージュだとステキなのにとか、あれやこれやと思い巡らしていることに気付きました。モノクロの世界はモノクロの世界だと、そのまま受け入れればよいものを、余計な彩色作業をしているものだから、疲れるようです。


この上映に入る前に、セルジュ・トゥビアナ (シネマテーク・フランセーズ・ディレクター) さんが、この映画を見るにあたっての 3 つのポイントという話をしてくださり、予備知識のない者にはありがたいお話でした。

1. この作品が撮影された頃は、ジャン=リュック・ゴダールとアンナ・カリーナが実生活でも深く愛し合っていた蜜月時代であったこと。
2. 主人公のナナという女性は、エミール・ゾラの小説 「ナナ」 に由来すること。
3. 12 の小景に分かれていて、演劇構成になっていること。

様々な撮影手法が使われているようで、後世の作品でも取り入れられているのではないかと思えるシーンがありました。あれ、こういうシーン見たことがあると...背中だけのショットを映したり、即興で撮影したり、演劇仕立てになっていたり、劇中劇が持つ意味とか...。

まぁ、ワタシは、誰がどんな撮影手法を最初に編み出したのかも知りませんが、ヌーヴェルヴァーグがあちらこちらに影響を与えているらしい、ということは素人ながらもなんとなく感じることができます。

この作品、画面は明るいのに、全体のトーンがどんどん暗くなっていくのは、ナナが男に身をゆだねるあたりから無表情になっていくからだと思います。女優になるという見果てぬ夢を持ちながら、離婚をするも、ロクに食べていくこともできず、やがて身を持ち崩していくのです。

ナナの名セリフはこれ。

「私はすべてに責任があると思う。自由だから。手をあげるのも私の責任。右を向くのも私の責任。不幸になるのも私の責任。タバコを吸うのも私の責任。目をつぶるのも私の責任。責任を忘れるのも私の責任。逃げたいのもそうだと思う。すべてが素敵なのよ。素敵だと思えばいいのよ。あるがままに見ればいいのよ。顔は顔。お皿はお皿。人間は人間。人生は人生。」

ナナの表情が見えなくなるにつれ、ナナの心の中は全く見えなくなってしまうのです。ナナは、最後までこのセリフに満足していたのでしょうか。

そしてラスト。どうしてこんなにも若い女性の最期がこれほどまで非情な最期になるのか、と半ば監督に怒り出したくなりました。


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