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[イタリア映画祭2010] 「勝利を」

2010.05.10.Mon.22:01
「勝利を」

原題: Vincere
製作年: 2009 年
製作国: イタリア
監督: マルコ・ベロッキオ
出演: ジョヴァンナ・メッゾジョルノ、フィリッポ・ティーミ

vincere

[あらすじ] (引用: イタリア映画祭 2010 公式サイト
熱心な社会主義者だったが、ファシストに転向するムッソリーニ (フィリッポ・ティーミ)。彼に惚れていたイーダ (ジョヴァンナ・メッゾジョルノ) は、全財産を投げ打って支援し、身も捧げ長男を産む。しかし、他に正妻と長女がいたムッソリーニは、イーダを遠ざけていくのだった。

2009 年 カンヌ国際映画祭 コンペ部門出品


■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■


この作品は、イタリアに独裁政権を築いたベニート・ムッソリーニに対して、彼の正妻であることを求め続けた女性イーダの半生を描いたものです。

今年のイタリア映画祭の目玉作品。前評判が高く、早々にチケットも売り切れ、ワタシもチケットを取り損ねて当日券に並びました。ワタシが到着したときはすでに 60 人ぐらいが並んでいて、こりゃ無理かもしれないと思っていたら、当日券は 90 枚用意されていたので、見ることができました。

作品全体の感想はというと... 朝早くから気合をいれすぎたのか、あるいは何か期待しすぎてしまったようで、一見の価値はあるけれども、どうも意図するところがしっくり来ませんでした。マルコ・ベロッキオ監督の登壇の日に鑑賞できなかったので、Q&A を聞いていたらまた違った感想になったかもしれません。

ストーリーとしては、イーダという情婦の存在を切り口にムッソリーニを描いたものですが、残念ながら、個人的には、イーダという女性に全く共感を抱くことができませんでした。

イーダは正妻であることを主張し続け、精神病院送りになるのですが、イーダと出会う前にすでに妻子がいたムッソリーニに対して、正妻を主張すること自体、無意味なこと。生涯、その無意味な主張を貫き通し、果ては、自分ばかりでなく、自分の息子までが狂人と化してしまうのです。母親の固執が、息子の人生を壊すことになろうとは思わなかったのでしょうか。ある意味、その愚かさが憐れでもあります。

あの主張は、彼女が守るべきプライドであって、単純に、固執や偏狂として片付けられたくないということは理解できますが、人として幸せを見つける道、息子が身を滅さずに生きる道は他にあったはず。妥協は負けではないと思うのです。正妻への道以外の選択肢を絶対的に拒む彼女には、納得がいきませんでした。

この作品で最も哀しいと思ったのは、気が狂ったムッソリーニの息子が、父親そっくりの口真似、モノマネをするところでした。

この作品では、当時の記録映画や新聞資料などがふんだんに使われて、まるで歴史ドキュメントのような仕立てになっています。画面いっぱいに広がる大きな活字、モノクロのフィルム、そうしたものが独特の効果を出しています。とくに後半のムッソリーニは、現存のフィルムばかりを使っているので、前半でムッソリーニを演じていたフィリッポ・ティーミが出てこなくなります。そして、ムッソリーニの息子役がやけに父親役のフィリッポに似ていると思ったら、なんのことはない、一人二役でした。

そういえば、フィリッポは 「重なりあう時」 で女に騙されていたっけ...(笑)。いろいろな顔を持つ役者さんで、今後も注目したいですね。

見終わると、タイトルがなぜ 「勝利を (VINCERE)」 なのか気になりました。一体、誰のため、何のための勝利を描いているのかしら、誰が勝って、誰が負けたのかしらという疑問が残ったのです。これが、この作品の謎かけのようですね。他ブログさんの記事で、監督の Q&A でについて書かれているものを拝見すると、「勝ち負けは表裏一体」 というお答えをなさったようです。


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