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サクランボを食べるたびに思い出す 「桜桃の味」

2010.06.06.Sun.23:54
「桜桃の味」
BS2 衛星映画劇場

原題: Ta'm-e-Gīlāss
製作年: 1997 年
製作国: イラン
監督: アッバス・キアロスタミ
出演: ホマユン・エルシャディ、アブドルホセイン・バゲリ

taste of cherry

[あらすじ] (参照: goo 映画
中年男バディ (ホマユン・エルシャディ) は、報酬とひきかえに自殺に協力してくれる人を探してテヘラン近郊で車を走らせている。途中で出会ったクルド人の若い兵士とアフガニスタン出身の神学生には断られたものの、3 人目のトルコ出身の老人バゲリ (アブドルホセイン・バゲリ) がようやく依頼を引き受けてくれそうだ。バゲリは、バディに自分にも自殺しようとした経験があったことを語り始める。

1997 年 第 50 回カンヌ国際映画祭 パルムドール受賞



■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■


バディがまず市街地で車の中から何かを探している様子から始まるのですが、彼が探しているものとは、自殺を幇助してくれる人。

そんな依頼を引き受けてくれる人を探しながら、ただひたすら、くねくねと曲がった荒涼とした丘の道を、土ぼこりをあげながら車を走らせるシーンがとても印象的でした。

どういう基準で選んだのか^^、最初に声をかけたクルド人の若い兵士にも、次に声をかけたアフガニスタン出身の神学生にも断られてしまいます。そりゃ、そんな見ず知らずの人のわけわからない依頼にすんなり YES と答える人はまずいないでしょう。たとえ、お金をもらえるとしても。

依頼を断った 2 人の若者は、きわめて健全な精神の持ち主、つまり常識的な人間です。人ひとりの死の重さをわかっているし、ましてや他人の死を自分が見届けるなんて、そんな心に負担になるようなことはできませんよね。

この作品、ラストまで、ぐっとガマンしてたどり着かないと、その良さかわからないのかもしれません (ワタシだけかもしれません)。ワタシの場合、ラストにきて、ああ、そういうことなのかとわかりましたけれど、そこに至るまでは、ただ目の前に、ほこりっぽい荒涼とした土地を車が往ったり来たりするだけの風景をやや恨みながら、ついついアマノジャクな気分になってしまいました。

というのも、例えば、そもそも、自殺するのに、どうして幇助が必要なのかとか。死にたくば、勝手に自分ひとりで死ねばよいものを、自分の人生は自分で解決すればいいものをと。自分の選んだ木の下にある穴の中で薬を大量に飲むから、翌朝息がなければ土をかけてくれと、他人に依頼するというマインドが理解できませんでした。後から思えば、そんなところで躓いたり、引っかかったりすることはなかったのですが (苦笑)。

結局のところ、バディが 3 番目に出会った老人が、依頼を引き受けれくれることになりますが、そこで老人は、自分にも自殺しようとした経験があるとバディに語る話の内容が、この作品のクライマックスとなります。

老人の話は...

生活苦に疲れて自殺しようとロープを木の枝に結んだところ、手に柔らかいものが触れた。桑の実だった。ひとつ食べてみたら甘くて... 桑の実を摘んで家に帰って妻にも食べさせた。死のうとした自分を桑の実が救ってくれたと。

君の目が見ている世界は本当の世界と違う。見方を変えれば世界が変わる。

... さっくりかいつまむと、こんな話でしたが、実際はもっと深い話です。この老人の話はとても素朴なのですが、生と死の重さがにじみ出ていました。それは、老人が年齢を重ね、人生の酸いも甘いも知っているからに違いありません。

絶望とか、自殺願望とか、そういうものは自分の思い込みの世界、妄想の世界でしかないということなのでしょうか。本当はたいしたことでもないのに、大げさにうそぶいている、そういう世界に自分を閉じ込めてしまっているだけで。

そして、ラストには唖然とする結末が待っていました。えっ、妄想を映画に見立てていた? 劇中劇? 

それにしても、長い道のりでした。見ていた自分もくねくねと曲がる道を運転していたかのような、軽く車酔いの気分になりましたけれど...。今後、サクランボを食べるたびにこの作品を思い出すことになるでしょうね。




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