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Dialogue vs Image  「ノルウェイの森」

2011.01.13.Thu.18:31
「ノルウェイの森」

製作年: 2010 年
製作国: 日本
監督: トラン・アン・ユン
出演: 松山ケンイチ、菊池凛子、水原希子

norwegian wood

[あらすじ] (引用: 公式サイト
高校時代に親友のキズキ (高良健吾) を自殺で喪ったワタナベ (松山ケンイチ) は、新しい生活を始めるために東京の大学に行く。ある日、偶然キズキの恋人だった直子 (菊地凛子) と再会する。キズキはワタナベにとって唯一の友人だったので、高校時代にはワタナベと直子も一緒によく遊んでいたのだった。それからワタナベと直子はお互いに大切なものを喪った者同士付き合いを深めていき、ワタナベは直子に魅かれていく。そして直子の二十歳の誕生日、二人は夜を共にする。だが、ワタナベの想いが深まれば深まるほど、直子の方の喪失感はより深く大きなものになっていき、結局、直子は京都の療養所に入院することになる。そんな折、ワタナベは大学で緑 (水原希子) と出会う。直子と会いたくても会えないワタナベは、直子とは対照的な緑と会うようになり、あるとき緑の自宅での食事に招かれて唇を重ねる。機を同じくして、直子から手紙が届き、ワタナベは直子に会いにいけることになる。




■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■


ようやく感想を書く気になりました (笑)。言わずと知れた村上春樹原作の映像化作品。

実写化、映像化は無理と考えられていた原作を、どうしても映像化したいと村上春樹を口説き落としたというトラン・アン・ユン監督の思い入れの強さが感じられる作品でした。

ですが...

小説と映像のギャップというものを、これほどまでに見せつけられた作品も珍しいかもしれません。どう説明すればいいのか、ワタシの言葉があまりに拙すぎて伝わらないかもしれませんが、これまで行間は行間のまま残しておいたのに、行間から突然いろんな風景が見えてくることにとても驚きを感じたのです。

もちろん、小説には小説の良さがあって、映像には映像の良さがあるので、映像化を否定するつもりは全くなくて、単にえらく驚いたということだけです。

この小説が出版されて読んだ頃、時代はまだアナログ中心の世界だったせいか、ワタシの頭の中に残っていた 「ノルウェイの森」 の世界も完全にアナログだったようで、映像 (イメージ) 変換されておらず、断片的な会話 (ダイアローグ) だけがふつふつと思い出されるのです。

「山が崩れて海が干上がるぐらい可愛い」 とか 「春の熊くらい好きだよ」 とかね。こうした表現にとっても心躍った記憶があります。

ところが、この映画を見ると、森、草原、鉢植えの草花のまばゆいばかりの緑とか、滴る雨粒のひとつひとつとか、風になびく草原や髪の毛とか、水の音とか、トラン・アン・ユン監督らしい世界、あるいはリー・ピンビンが撮った美しい自然の世界が、スクリーンの隅々まで繰り広げられていて、原作には、そんな背景、風景があったっけ? と。

鑑賞後、自宅にある原作をめくってみると、やはり行動描写は大いにあるけれど、背景や風景描写って基本的に少ないですね。そこが映像化の難点だったのかもしれませんが。

生と死、ココロとカラダ、喪失、再生、哀しみ、切なさ ...と、原作にはいろいろなエッセンスが詰まっています。読み手は、幾重もの問いが投げかけられ、その回答や解釈の選択肢に悩まされるわけで、そうした重層感というものは、会話から紡ぎ出されたものだったような気がします。

ところでキャストですが、松山ケンイチは良かったけど女優陣には不満が残ります。菊池凛子は悪くないけど、眼力がありすぎて直子の今にも消えそうな脆さがいまひとつ感じられず、緑役の水原希子に至っては、イメージとは異なるとかそういうレベルにも達していないぎこちなさや違和感があり、ちょっと残念でした。







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