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【トークメモ】 アピチャッポンの亡霊 (ファントム)

2014.01.30.Thu.02:27
特集 アジア映画で〈世界〉を見る

2014 年 1 月 26 日(日)
会場: 映画美学校試写室

評論集 「アジア映画で〈世界〉を見る 越境する映画、グローバルな文化」(作品社) 刊行記念。

プログラム 1
「アピチャッポンの亡霊 (ファントム)」
上映: 『メコンホテル』 (2012 / 61分 / 監督: アピチャッポン・ウィーラセタクン)
トーク: 福間健二 (詩人・映画作家)、渡邉大輔 (映画批評家)

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■ トークメモ ■
(発言内容は私個人がとったメモをベースにしているため、発言者の正確な意図を反映しているとは限りません)

渡邉: 『メコンホテル』 を観てどうか。

福間: 何度見ても、確かなことは何もない。新鮮だ。エンドロールでは、川の流れに音楽が流れているだけで映画が成立している。何もしなくても映画はできるのだ。

渡邉: 音楽の使い方もよく、心地よささえ漂う。アンビエントを大切にしている。

福間: 映画はどのように作られるのかと考えるとき、試行錯誤して、いろいろディスカッションを重ねて組み立てるものだという欧米的な考え方をしてしまう。映画は欧米で始まったものだけれど、それ以前から始まっている。つまり、カメラを介していなくてもすでに映画を体験している。たとえば、車窓からの風景。

渡邉: この作品は、自明のジャンル境界を横断、複数のジャンルを往来している。福田さんの作品と共通点がある。映画を外から、相対的に見ている。ひとつに充足していない。

福間: 映画は、いろんな側面、次元を考えて、ひとつの形、何らかの形が創り出される。嘘をついていても真実が現われている。アピチャッポンの意識の中には、幽霊の存在に見られる明らかな虚構の部分と俳優が日常会話をしている現実の部分が混在する。

渡邉: メディアとして映像をとらえると、アピチャッポンはインターフェース (界面) の作家、境界の作家だ。あらゆるフェーズで、何かと何かの間の境界が多重化している。

福間: 文明 (ホテル) 対自然 (川) という対立構図をみると、映画の中で自足するのではなく、映画の外とのフィードバックが起きている。映画表現は社会に対して、現実に対してどう影響するのかと。状況や反映を超えたフィードバック。映像の中に、川や森はただ出てくるのではなく、感受性を幅をひろげている。空間のみならず時間を感じさせる。

渡邉: アピチャッポン作品で幽霊や亡霊は印象的なキーワード。福間さんの作品にも登場するが、共通するところはあるのか。

福間: ゴダールの 『ヒア&ゼア』 では、森へ行ってしまったら帰ってこられない。ところが、アピチャッポンの 『ブンミおじさんの森』 では、行って帰ってくる。死んでも未練があるから亡霊は遠くからやってくるものという考え方。生きていること自体が亡霊? 自分の中に亡霊がいないか? ある段階で亡霊である自分を意識するようになる。従来の 「疎外」 や 「孤独」 という解釈ではない。

渡邉: アピチャッポンは、メディア (媒介、何かと何かを結びつけるもの) とプラットフォーム (すべてのジャンルを一元的にとかしこむシステム) の両方を持ち合わせている。幽霊は、メディアの時代では 「共同体の外部からやってくるおどろおどろしい存在」で、プラットフォームの時代では 「すべてのものが溶かし込まれて、その中から出てきたもの、外部からではなく、自分の中から出てくるもの」。

福間: まさに英語で come (来る) が become (なる) となるように、現実と夢、内と外、外からやってくるものと自分の内側、こうしたものが区別できなくなるところに映画がある。

渡邉: 単体としてできた作品が、プロセスそのもので、常に現在進行形。

福間: なぜ表現者(作家) がいるのか? イメージと絵画が異なるように、言葉と小説・詩は異なる。あるひとつのまとまりに向っていくと、映像は面白くない。複数に分裂していくと面白くなる。映画は集団芸術で、監督ひとりで作り上げるわけではない。アピチャッポンにはスタッフとの家族的なつながりを感じる。


■ 感想 ■

一昨年フィルメックスで 『メコンホテル』 を観たとき、なにかモヤモヤとすっきりしないものが残ったのだが、それはまさしく 「境界」 を往ったり来たりしていたからだったのかと、トークを聞いて納得した。アピチャッポン作品の解釈におけるさまざまなキーワードが飛び出し、まるでおもちゃ箱からあれこれとおもちゃを取り出す感覚に似ていて、充実した楽しいトークだった。

エンドロールでは、茶色く濁ったメコン川がゆったりと流れてゆく。そのゆらゆらとした川面をホテルのバルコニーから実際に眺めているかのように、自分はどうやら境界を超えてあちらの世界へ入り込んでいたようだ。不思議な気分。ファントムたちはどこから来てどこへ行くのか。




 
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